1989年1月撮影
高度成長期を迎えた日本経済とは裏腹に、新幹線開業と前後して、国鉄は赤字へと転落します。
労使関係は、現在では想像つかない状況で、新車の導入はなかなか難しかったのが現実のようです。
これほどまで長期間・大量に製造され続けた電車はまれです。基本設計がしっかりしていたことと共に、上記の背景があったことも忘れてはならないでしょう。
1990年頃撮影
日本の高度経済成長が一段落すると、様々な問題がクローズアップされます。
東海道新幹線沿線は住宅地が多く、騒音や振動が「新幹線公害」と呼ばれていたようです。
0系は、16両編成で8個のパンタグラフを使っていました。架線とのスパークは激しく、騒音や電波障害の原因でした。
現在の新幹線は、これをを大きく軽減することに成功しています。また、軽合金などの採用で、車両は軽くなり、振動も抑えられました。
1987年4月撮影
1987年(昭和62年)4月1日。
国鉄は分割民営化され、0系は、東海と西日本のJR二社に継承されます。
主役の座を、100系・300系へと譲り、「ひかり」「こだま」の時代から、「のぞみ」の時代への変化と共に、脇役に徹することになります。
写真は、JR誕生記念の「よろしくJR」のマークつき。